突然の別れ…
こんにちは😄
2回連続で受精卵が凍結できて、あとは時期を待って移植にチャレンジ!
しかも2段階移植を初めて試す予定だったので、今度こそは!と期待していました😊
そんな中…
2017年1月16日、突然の知らせ…父が亡くなったと…
母がパニックで、運ばれた病院の看護師さんから電話がきた時は、私も何が起きたのか理解できませんでした💦
大きな病気もなく、朝、母と別れる時は、いつも通りだったそうです。
人がいない所で倒れて、救急車で運ばれましたが、その時にはもう心肺停止状態だったとのことでした…
突然過ぎて、とにかく信じられませんでした。
お正月に帰省したばかりで、「またおいでね~」と手を振って見送ってくれた父の姿が鮮明すぎて…
実家まで帰るには5時間くらいかかるのですが、その道中、まずは今の状況を理解し、帰ったらやらなければいけないことが沢山あること、残された母の様子が気になること、これからの母の生活のこと、そして父がいなくなってしまった事実を受け入れなければいけないこと、色々なことを考えました。
それから…
きっと楽しみに待っていてくれた孫の顔を見せてあげられなかったことが、何より悔しかったです😫😫😫
しかも、移植がもうすぐできる!という状況だったので、何故?待ってくれなかったの?と悔しくて仕方ありませんでした。
私の妊活について、父に直接話したことはほぼありませんが、母から事情は聞いて心配してくれていたと思います。
一度だけ、「無理はするな」と言ってくれたことがありました。
私にはその一言で、父の心配してくれてる想いがすごく伝わっていました。
だからこそ、もう少し待っていて欲しかった!私が母親になる姿を見て欲しかった!
何で父が?…辛い現実でした。
そして、一人残された母…
突然夫を亡くし、しかも一人暮らしになり、私の想像以上の辛さだったとは思います。
完全に夫を亡くした一人の女性になっていて、父親を亡くした娘の気持ちを気遣う余裕などありませんでした。
父の死から2年以上が経った今なら、あの時の母の状態は仕方なかったなと思うことができます。
でも当時は、私自身もどん底の中、母の想いを受け止めていくのが本当に辛かったです。
母が一人暮らしになったので、毎晩電話しては、電話口で泣かれ…
しばらくは、1ヶ月に1度くらい片道半日かけては実家に帰り、母の様子を見て。
とにかく母の辛くしんどい状況を受け止めるのが、私も限界ギリギリでした。
父を失った悲しみ、そして母のことを心配していくことがしばらくは、本当に辛かったです😫
今でも忘れられない母の言葉があります。
「〇〇ちゃん(私)に赤ちゃんができることが、お母さんの何よりの生きがいになる」
もしかしたら、普通の親子の会話かもしれません。
時が経った今なら、聞き流すこともできるかもしれません。
ですが、当時は自分の精神状態もいっぱいいっぱい、タイムリミットもせまって、本当は自分の心配で余裕がない中、母の心配もある、そんな中でこの言葉は辛かった。
そうなることが、一番いいことは私が一番分かっていたから。
それでも、その願いを自分の努力だけでは叶えられない現実。そして、この過酷な状況の中でも妊活を続けなければならなかったこと。
だから、自分のことしか見えていない母の状況は分かりますが、このセリフは言って欲しくなかった…
何気ない言葉だったことは理解はできても、気持ちがついていきませんでした💦
2017年、いいスタートがきれたと、思った矢先の出来事でした。
しばらくは、妊活と母の心配と、さらに過酷な日々が続きました😰